「黒船」―― それは、19世紀半ばに日本を開国へと導いたペリー提督の艦隊の異名。そして21世紀初頭、競馬界にもまた、同じ名を持つ一頭の「黒船」が来航し、旋風を巻き起こした。その馬の名は、クロフネ。
伝説の名馬「クロフネ」 その衝撃のデビューと軌跡
2000年12月、阪神競馬場。新馬戦に颯爽と登場したクロフネは、2歳とは思えぬ堂々とした馬格と、黒光りする馬体で周囲を圧倒していた。レースでは、好スタートから先手を奪うと、そのまま後続を突き放し、2着に5馬身差をつける圧勝劇を演じた。
「まるで、違う生き物みたいだった…」
当時、クロフネの走りを目の当たりにした競馬ファンは、その衝撃をそう語っていたという。デビュー戦の衝撃は、瞬く間に競馬界を駆け巡り、「怪物」という言葉が彼に冠せられるようになった。
続く500万下条件戦も、7馬身差の圧勝。迎えたラジオたんぱ杯3歳S(G3)では、後にG1馬となるアグネスタキオン、ジャングルポケットら強豪馬との対決となったが、ここでもクロフネは力の違いを見せつけ、見事勝利を収めた。
このレースは、今も語り草となっている名勝負だ。特に、アグネスタキオンとの壮絶な叩き合いは、多くのファンの記憶に焼き付いているだろう。もし、この二頭がその後も順調に成長し、クラシックレースで再戦していたら… そんな「if」を想像せずにはいられない。
NHKマイルカップ制覇!そして運命のダービーへ
年が明け、4歳となったクロフネは、毎日杯(G3)を7馬身差で圧勝し、重賞初制覇を飾る。そして、迎えたNHKマイルカップ(G1)。ここでもクロフネは、その圧倒的なスピードでライバルたちをねじ伏せ、G1制覇を成し遂げた。
当時、外国産馬はクラシックレースである皐月賞、日本ダービーに出走することができなかった。しかし、クロフネはその名の通り、日本競馬界に風穴を開けるべく、日本ダービーへの挑戦を表明する。
ダービー当日、府中のターフに詰めかけた大観衆は、クロフネの走りに大きな期待を寄せていた。しかし、結果は5着。後に「ダービー馬」となるジャングルポケットの前に、屈することとなった。
ダービーでの敗因は、距離適性や展開など、様々な要因が考えられる。しかし、この敗戦が、クロフネのその後の運命を大きく左右することになったのかもしれない。
ダート転向!驚愕のレコード勝ちと「砂の王者」誕生
ダービー後、陣営は秋の大目標を天皇賞(秋)(G1)に定めるも、出走権を得ることができなかった。そこで、彼らは大きな決断を下す。それは、ダート路線への転向だった。
この決断に、多くのファンは驚いた。芝でG1を制した馬が、なぜダートへ? しかし、クロフネは、そんな周囲の疑問を吹き飛ばすような走りを見せる。
武蔵野S(G3)では、2着に9馬身差をつける圧勝で、レコードタイムを樹立。続くジャパンカップダート(G1)でも、一線級を相手に7馬身差のレコード勝ち。芝・ダート両G1制覇という偉業を達成し、「砂の王者」の名を欲しいままにした。
クロフネ産駒の活躍!受け継がれる「砂の血統」
2002年、クロフネは種牡馬となり、新たな道を歩み始める。そして、彼の血統は、多くの優秀な産駒たちを生み出すこととなる。
G1・6勝を挙げた「砂の女王」カレンチャン、ダートG1・3勝のホッコータルマエ、そして2020年のJRA賞最優秀ダートホースに輝いたチュウワウィザードなど、クロフネ産駒はダート界で圧倒的な強さを誇っている。
「クロフネ産駒は、とにかくダートが強い!」
これは、もはや競馬ファンの間では常識となっている。特に、平坦なコースでのスピード、そして重馬場での強さは、クロフネから受け継いだ大きな武器と言えるだろう。
クロフネが残したもの そして未来へ
2021年1月、クロフネは老衰のため、23歳でこの世を去った。早すぎる死を惜しむ声は、今もなお多く聞かれる。
しかし、彼の血統は、今も競馬界に大きな影響を与え続けている。そして、これからも、彼の子供たち、そしてその子孫たちが、競馬場に「黒船旋風」を巻き起こしてくれるだろう。
クロフネ―― それは、競馬史にその名を刻んだ、真の「黒船」だった。